今日は沖縄戦が終わって60年経った慰霊の日でした。
いつもはギラギラと輝く太陽と、暑さを際立たせるかのようなセミの大合唱となるこの日だが、今年は太陽もセミの声も弱い。ただ、いつもの通り暑い一日だ。
毎年この日に過去のことを思い出し、反省し、未来へ誓う。ただ、毎年60年前のことを思い出し、語ることができる人は少なくなっていて、過去を想像するだけしかできなくなってきている現実がある。僕たちがしっかりと戦争を体験した人々の言葉に耳を傾け、バトンを受け取る時間は残り限られてきている。ここで僕たちはしっかりと受け継がなくてはいけない。そうしないかぎり、いつしかこの日も多くの人に忘れ去られていくかもしれない。
遠い昔の出来事のようだけど、オジィやオバァはそのときを知っている。僕たちよりもずっと小さくて、シワいっぱいで笑う穏やかな表情であっても、今の若者だったら生きていけないような状況を生き抜いてきたはずだ。毎年だんだんと小さくなってきている体験者の声、それをかき消すような声が出てこないよう同じ時代を今生きている僕たちは、限られた時間のなかでたくさんの受け継ぐべきものがきっとあるはずだ。平和の中で、この気持ちを忘れないでおきたい
いつもはギラギラと輝く太陽と、暑さを際立たせるかのようなセミの大合唱となるこの日だが、今年は太陽もセミの声も弱い。ただ、いつもの通り暑い一日だ。
毎年この日に過去のことを思い出し、反省し、未来へ誓う。ただ、毎年60年前のことを思い出し、語ることができる人は少なくなっていて、過去を想像するだけしかできなくなってきている現実がある。僕たちがしっかりと戦争を体験した人々の言葉に耳を傾け、バトンを受け取る時間は残り限られてきている。ここで僕たちはしっかりと受け継がなくてはいけない。そうしないかぎり、いつしかこの日も多くの人に忘れ去られていくかもしれない。
遠い昔の出来事のようだけど、オジィやオバァはそのときを知っている。僕たちよりもずっと小さくて、シワいっぱいで笑う穏やかな表情であっても、今の若者だったら生きていけないような状況を生き抜いてきたはずだ。毎年だんだんと小さくなってきている体験者の声、それをかき消すような声が出てこないよう同じ時代を今生きている僕たちは、限られた時間のなかでたくさんの受け継ぐべきものがきっとあるはずだ。平和の中で、この気持ちを忘れないでおきたい